アジア太平洋地域(APAC)の資本市場は、決済サイクルの短縮化、テクノロジーの進歩、新規制の導入などを受け、変革を遂げています。
ブロードリッジのマネージングディレクター、アジア太平洋地域責任者のイアン・ストラドウィックが、これらの変化が2024年にAPACの銀行や証券会社にどのような影響を与えるかを考察します。
1. 北米のT+1がAPACの金融機関にプレッシャーを与える
2024年5月から、米国、カナダ、メキシコの決済サイクルがT+1に短縮されます。アジア全体のクロスボーダー決済の5割は北米の証券が関連しているため、APACの金融機関は影響を受けることになります。1
北米とAPAC間の時差を考慮し、T+1の適用後は、APACの銀行はすべてのポストトレード処理(およびFX管理、コーポレートアクション、証券貸付などのその他業務)を取引日に行わなければならなくなり、その結果、フェイルの発生件数が増加する可能性があります。取引のフェイル率が高まれば、現地企業はコスト増、あるいは厳しい罰則に直面することになる見通しです。
このシナリオを回避するためには、APAC企業は北米事業を拡充する、24時間体制のビジネスモデルを採用する、あるいはミドルオフィスとバックオフィス業務を自動化する必要があります。
APACの金融機関が北米のT+1導入への準備を十分に進めていないという懸念が高まる中、2024年初頭には、対応を加速させる金融機関が増えると予想されます。「T+1:アジアにとっての問題(T+1: A problem for Asia」と題する最新レポート(英)では、アジアの金融機関が直面する様々な問題およびその解決策について述べています。
2. APACでの決済短縮の動きが加速する可能性
APACの市場の中には、自国の決済サイクルの短縮について検討している先も複数あります。
2023年に上場株式のT+1を段階的に導入したインドの規制当局は、今年はT+1と並行して任意のT+0決済サイクルを展開し、2025年には即時決済を導入する計画です。 2
インドのT+1の導入は(一時的なフェイルの増加を除けば)大過なく進められました。しかしながら、専門家は、T+1/T+0を並行して運用すれば、個人投資家はT+0で、外国人投資家はT+1で決済されることになり、個人投資家と外国人投資家の間で流動性の分断を引き起こすリスクがあると警告しています。3
その他の地域では、オーストラリア証券取引所(ASX)もT+1への移行の可能性について株主と協議しています。
APACの市場では決済サイクルを短縮した先がいくつかありますが、ほとんどの地域はT+2を維持しています。しかし、北米でT+1が導入されれば、この状況は一変する可能性があります。銀行や証券会社は、より多くのAPAC市場がT+1を採用することを見越して計画を立てる必要があります。北米のT+1に伴う準備で実施した作業の一部を再現することで、これを行うことができるでしょう。
3. AIは今後も破壊的であり続ける
APACを拠点とする銀行や証券会社は、ワークフローに人工知能(AI)を組み込む動きを加速させています。アジアの顧客は、手作業で行っているデータ照合や集計を自動化するためにAIを活用する機会に期待を寄せています。また、事業プロセスに関する実用的な洞察を得るためのAIの活用にも期待しています。チャット・テクノロジーにより、意思決定者とデータ間の距離は近づき、その結果、より深いつながりが可能になります。
Generative Pre-trained Transformer (GPT)テクノロジーのような生成AIツールは急速に進化しており、高度にカスタマイズされたGPTは現在、フロントオフィス、ミドルオフィス、バックオフィスに統合されています。例えば、BondGPTは、複雑な債券関連の質問に答え、従来であれば20分以上の時間を要した、トレーダーによるリアルタイムでの社債の確認を支援します。4
他のプロバイダーは、GPTをチャットボットに組み込み、KYC(Know Your Client)や口座振替で顧客を支援することで、社内リソースの削減を可能にしています。
APACでのAIに対する意欲は、プロバイダーがユーザー・エクスペリエンスを向上させ、業務効率化のための技術活用に伴い、2024年には一段と高まる見通しです。
4. 分散型台帳技術(DLT)は依然として優先事項
DLTは最近、いくつかの挫折に見舞われましたが、業界は依然として技術の発展に積極的な関心を寄せています。
受賞歴のあるブロードリッジの分散型台帳レポ・プラットフォームは、現在市場で稼働しているスケーラブルなDLTソリューションの一例で、10兆ドル規模のレポ市場のコストとリスクを低減しています。
デジタル資産(セキュリティトークンなど)に対する意欲が高まる中、業界は今後も、さまざまなDLTプロトコル間の相互運用性を高める方法について協力していく見通しです。
DLTの相互運用性抜きには、デジタル資産市場がクリティカル・マスに達するのは難しいと思われます。
2024年、APAC市場はDLTの取り組みに多くの時間を費やす見通しです。AIとDLTの投資決定と実用的な使用事例に関するさらなる洞察については、2024年2月にブロードリッジが発表を予定している「第4回デジタルトランスフォーメーションと次世代技術に関する年次調査(Digital Transformation and Next-Gen Technology Study(英)」にご注目ください。
5. 取引ライフサイクルの簡素化への注目が高まる
APACの金融機関は、複雑な地政学、市場のボラティリティ、決済サイクルの短縮化といった困難な市場環境に対応するため、取引ライフサイクルを簡素化する方法を模索しています。
多くの金融機関は現在、よりシームレスな取引ライフサイクルを実現するために、革新的なテクノロジー・ソリューションを駆使するサービス・プロバイダーに注目しています。
しかし、多くの機関が複数のベンダーによるレガシーなテクノロジー・スタックを抱え、サイロ化したプロセスやシステムに依存し続けているため、具体的な成果を上げるのは容易ではありません。
モジュール化されたソリューションで取引ライフサイクルのあらゆる側面を簡素化できるテクノロジー・パートナーは、銀行や証券会社に優位性をもたらし、所有コストを下げると同時に、ビジネスを成長させるために機敏に行動することを可能にします。
2024年には、より多くのAPACの銀行や証券会社が取引ライフサイクルの簡素化を検討することが予想されます。2024年第1四半期にDatos Insightsが発表を予定している、取引ライフサイクルの簡素化に関する調査(英)にご期待ください。
6. ESGはAPACで足場を固める
欧州に端を発し、次に米国、そしてAPACへ:世界的な事象(化石燃料削減に関するCOPの誓約など)、規制、持続可能なリターンに対する顧客の要求の高まり、リスク管理への配慮(座礁資産リスクの回避など)を受け、環境・社会・ガバナンス(ESG)投資は世界的なトレンドとなっています。
シンガポール、香港、台湾の規制当局は、それぞれESGファンドの報告・開示ガイドラインを導入しています。これは、グリーンウォッシュのリスクを減らすとともに、個人投資家が何を購入しているかを理解しやすくすることを目的としています。5
総額710億ドル規模にのぼる日本のサステナブル・ファンド市場も、規制当局による取り締まりに直面しています。現在、投資ポートフォリオを構築する際にESGを「重要な要素」として考慮するファンドのみが、日本でESGファンドとして販売することが認められています。 6
東京証券取引所と大阪証券取引所を運営する日本取引所グループは、上場企業のガバナンス向上を奨励するため、「名指し非難」政策を導入するなど、日本も国内企業に開示基準を課しています。 7
世界の持続可能性開示規制(EUの持続可能な金融開示指令や企業の持続可能性報告指令、米国証券取引委員会(SEC)の気候関連開示要件など)は、国際的に事業を展開しているAPAC企業にESGに関する報告を義務付けています。これらの影響を受ける組織の業務負担は一段と増加することになります。
2024年に向けて、銀行や証券会社などAPACの金融機関にとって、ESGはますます重要な優先事項となる見通しです。
7. 開放を続ける中国
ストックコネクト、ボンドコネクト、ETF(上場投資信託)コネクトに続き、スワップコネクトが中国本土と香港を結ぶ最新の相互市場アクセス・スキームとなりました。金利の上昇を背景に、債券やスワップ商品への需要が高まっています。
2023年5月に開始されたスワップコネクトにより、海外投資家はオンショアの店頭デリバティブ取引が可能になると同時に、オンショアの投資家も香港の店頭市場にアクセスできるようになりました。
スワップコネクトは、海外投資家がオンショアの中国国債のエクスポージャーをヘッジできるようになったと歓迎されていすが、トレーダーの中にはポジションを解消する際に困難に直面するなど、新たな問題も生じています。8
既存の中国市場へのアクセス・チャネルの強化と追加的な市場改革は2024年も継続される見通しです。
8. 証券金融が前面に
空売りに関する規制を緩和する国が増えるにつれ、APACでは証券金融が勢いを増しています。さらに、厳しい収益環境の中で追加収益を得ようとする金融機関も証券貸付を実施しています。
マレーシア証券取引所は、より多くの金融機関が空売りを行うことを認める規則改正を発表し、フィリピン証券取引所は2023年に空売りをようやく承認しました9 。 10
これは、多くのAPACの投資家がリターンを得るのに苦労している中、証券貸付を通じて補足的な収入を得ようと試みているためです。証券貸借取引を実施する金融機関が増えるにつれ、ミドル・オフィスやバックオフィスを大幅に改革する必要が生じます。オンプレミスのテクノロジー導入からホスティングされたクラウドベースのソリューションへの移行は、これらの移行を可能にする上で非常に重要です。
証券金融への関心が高まるにつれ、2024年にはAPACでより多くのバイサイドおよびセルサイドの金融機関がレガシーシステムをクラウドベースのソリューションに置き換えると予想されます。本件の詳細は、「証券金融分野におけるホステッド・ソリューションのメリット(The merits of hosted solutions in the securities finance space)」(英)と題する最近の記事をご参照ください。
9. グローバルOMSへの需要は一段と増加
APACのセルサイドの金融機関は、地域レベルでもグローバル・レベルでも競争力を維持するためには、最高の機能を備えた注文管理システム(OMS)が必要だと認識しています。
直近のDatos Insightsの調査(英)によると、51%の金融機関が規制変化への対応が最大の課題であると回答しており、次いでグローバル化対応(49%)、市場の細分化(41%)が挙げられています。
セルサイドの金融機関の意思決定者は、グローバルな接続性、規制遵守、堅牢なレポーティング機能、ワークフロー自動化ソリューションの支援を、重要事項として挙げています。
セルサイド向けのベンダーは、市場にモジュール化された、グローバルに対応可能なツールを開発しています。これらのソリューションは、単一のOMSエコシステム内で、コンプライアンス、ミドルオフィス、コネクティビティ・サービスに加え、主要なフロントオフィス機能全般で複雑さを増すワークフローに適応し、簡素化することが可能です。
これらのツールは基本的に、金融機関が地域やアセットクラスのニーズに合わせたカスタムソリューションを開発するためのビルディングブロックを提供しています。
2024年には、APACのセルサイドの金融機関はコスト圧力にさらに留意するようになり、より少ないコストでより多くの機能をOMSが備える方法を見つける必要に迫られる見通しです。
10. 新たなデリバティブ報告義務への準備
APAC全域における店頭デリバティブ報告規則の更新は、銀行や証券会社の業務に顕著な影響を与える見通しです。
より多くの市場が固有商品識別子(UPI)報告の義務化を導入する中、デリバティブ報告の標準化に向けた取り組みが現在行われています。
米商品先物取引委員会(CFTC)は、2024年1月29日にUPI報告を義務化する最初の規制当局となり、次いでEUが4月29日、英国が9月30日、そしてオーストラリアとシンガポールが10月に順次義務化を予定しています。報道によれば、日本は2025年4月にUPI報告を義務化する見通しです。11
新たな規定は非常に複雑になる可能性が高く、特にシンガポールとオーストラリアでは義務化までの期間がかなり限られています。
APACの金融機関は、2024年から2025年にかけて予定されている店頭取引の報告制度の変更に対応するために、多くの時間を費やすことになる見通しです。2024年1月25日に開催予定のウェビナー「2024年以降に予定されるAPACのデリバティブ報告の変更への対応:Navigating APAC Derivatives Reporting Rewrites in 2024 and Beyond(英)」では、店頭デリバティブ報告の主な変更内容、それに対応するために必要な対策、対応に伴う課題などについてお話しします。是非、ご参加ください。
1 スウィフト - 2023年11月30日 - Preparing for T+1: The global impact of north America’s move
2 ザ・トレード - 2023年11月29日 - India to rollout optional T+0 from March 2024 as part of roadmap to instantaneous settlement
3 ビジネス・インサイダー・インディア - 2023年11月7日 - Foreign investors up in arms as SEBI plans shift to T+0 settlement
4 フィンエキストラ - 2023年11月15日 -Generative AI’s next generation: Enter the agents
5 レイサン・アンド・ワトキンス法律事務所 - 2023年8月26日 -Regulatory updates in Asia ESG- August 2023
6 ブルームバーグ - 2023年2月8日 -Funds that inflate green credentials face strict new rules in Japan
7 フィナンシャル・タイムズ - 2023年10月15日 -Japan stock exchange adopts name and shame regime to boost corporate valuations
8 リスク - 2023年7月28日 - Swap Connect growth hampered by unwinding issues
9 日経アジア-2023年11月2日-Philippine exchange greenlights short-selling for first time
10 ニュー・ストレイト・タイムズ - 2023年6月14日 - Analysts say new rule for short selling will have a positive impact on market ecosystem
11 レギュレーション・アジア - 2023年11月22日Japan finalises OTC derivative reporting requirements